津城庭園涸滝石組 (Tujyoteien karetaki iwagumi)

三重県津市丸之内27地図
 続百名城の津城(152番)は江戸時代初期に黒田如水、加藤清正と並ぶ築城三名人の一人、藤堂高虎により近代城郭として改修されました。



撮影2025/1/2
 織田信包が築城した時には五層の天守閣がありましたが、関ヶ原の戦いの時に西軍の攻撃を受け消失して以来、再建されていません。
 こちらは観光用に作られた鉄筋コンクリートの模擬櫓です。明石城の櫓を参考にしているので、それらしい形をしていますが、史実の裏付けがないニセモノは見ていても心を打つものがありません。再建するなら丑寅と戌亥の三重櫓でしょう。
 ニセモノ櫓の近くに藤堂高虎の「しらはたや花さく山の一備へ」の句碑がありました。関ヶ原合戦時に東軍が勝ち徳川軍の白旗が辺り一面となった情景を詠んだものですが、藤堂高虎はこんなところに櫓なんか建てた覚えはないぞと怒っているかもしれません。
 現代詩人の内藤まさをの「古城址の池くれなづむ花あかり 」の句碑もありました。
 でも電線が目障りですね。多くの自治体では城回りの電線は地中化していますが、こんなところにも津市のやる気なさを感じます。
 藤堂高虎の騎馬像がありました。
 天守台の石垣は反り建つように組まれています。
 天守台の隣には高山神社がありました。高山公(コウザンコウ)と呼ばれた藤堂高虎を祀っておりタカヤマジンジャではなくコウザンジンジャと読みます。
 こちらは戌亥櫓跡、しつこいですが、再建するならこちらでしょう。
 西之丸には1820年に開校された藩校「有造館」の門として造られた入徳門がありました。
 門をくぐると日本庭園がありますが、残念ながら池には水が張ってありません。
 落ち葉も積もって荒れ放題でした。
 折角いい石組なのに残念ですね。
津城庭園涸滝石組 (ツジョウテンエンカレタキイワグミ) 落差2m 評価1
 池から上流を辿っていくと滝石組がありました。なかなかいい形をしています。
 でも残念ながら落ち口のパイプが見えて興ざめでした。
 左側にはホースも見えています。
 ゴミ捨て禁止の立札に落書きがしてありました。こうなるともうブラックジョークですね。
 庭園のベンチは鳥のフンで座る気もおきません。割れ窓理論※を地で行ってます。
 津市は三重県の県庁所在地ですが、これでは地元の方だけでなく観光客からも愛想をつかされるでしょう。三重県に未来はなそさうです。
 江戸時代に文藩(教育・学問に優れた藩)と呼ばれた津藩ですが、その基礎を築く「有造館」を作った藤堂高兌も泣いていることでしょう。
※割れ窓理論
 「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」との考え方。



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