嵩山不動滝(Susefudo taki)

愛知県豊橋市嵩山町地図
 国道362号線を静岡県から愛知県に向かうと本坂トンネルを越えたところに滝への入り口である姫街道があります。
 姫街道は江戸時代、新居の関所を嫌った人が通った街道で、大名のお姫様がが使ったことでこの名前があります。



撮影2025/1/17
 14年振りに再訪しましたが、今回はフォレスターではなく最低地上高の低いロードスターなので、車は手前の舗装路に停めて姫街道を歩いて行くことにしました。
 木漏れ日が古道らしくいい感じです。
 3分ほどで、前回、車を停めた滝との分岐に着きました。
 分岐から8分で滝に到着です。
 滝の左側には注連縄がかかった穴がありました。
 中を除くと赤色の光背が美しい不動明王が鎮座されています。
嵩山不動滝(スセフドウタキ) 落差4m 評価4
 前回は雨が降っていたので、水量がありましたが、今回はほとんど水が流れていません。水量でこれだけ様相が変わるのにびっくりです。
 滝の映像
 地元にも係わらず、訪問していなかった続百名城の吉田城(151番)に行くことにしました。
 姫路城主として有名な池田輝政が1590年に吉田城主になり、1601年に姫路に移封されるまで吉田城と城下町の大改修を行い城の基礎を造ります。
 歴史にもしはありませんが、もし池田輝政が姫路に移封されなかったら、吉田城はもっと立派になっていたかもしれません。というのも以降の城主は在任期間が短く、石高も小さいことから池田輝政の築城計画を完成出来なかったからです。一方で歴代の城主が幕府の要職に就いたことから吉田城は出世城と呼ばれました。
 こちらは鉄筋コンクリートで復元された鉄櫓(クロガネヤグラ)です。
 豊川のほとりまで降りて石垣越しに見上げると高さもあって櫓にはみえません。立派ですね。
 鉄櫓は15時に閉まるのですが、15時10分、何とか拝み倒して入れて貰いました。こちらは最上階から見た豊川です。
 江戸時代の吉田城は、本丸に天守閣はなく四隅に四つの隅櫓がありました。本丸御殿は将軍上洛時の宿所として建てられましたが、1707年の宝永地震によって倒壊し以後、再建されていません。
 鉄櫓内の復元模型で見ると本丸の建物配置が分かりやすいですね。手前左が復元された鉄櫓ですが、四つの櫓の中では一番大きく、実質的な天守閣の役割をしていたものと思われます。
 吉田城内にある豊橋市美術博物館で銅鐸の特別展「銅鐸の国」を開催していたので観てきました。
 銅鐸は中国から伝来し日本で独自に発展します。その後、弥生時代の1世紀頃から近畿式と三遠式の二つのタイプに大型化しました。
 こちらの三つの銅鐸は伊奈村(現豊川市小坂井町)の麦畑で発見された伊奈銅鐸で、今回の特別展の目玉となっています。
 こちらは三遠式を代表する絵画付きの銅鐸で、左に鹿、右に二羽のサギが描かれていました。線だけで描かれたシンプルな絵画は動物の特徴を良く現わし弥生人の美意識の高さに驚かされます。
 3世紀の魏志倭人伝には倭人について「男子無大小 皆黥面文身」と書かれていました。
 この土器は「男子は子供から大人までみんな顔に入れ墨を入れていた」という記述を裏づけるものであり、国の重要文化財に指定されています。



撮影2011/6/11
 滝の近くに、嵩山蛇穴(すせじゃあな)という鍾乳洞があり、縄文人が暮らした痕跡があるそうです。
 少し入ってみましたが、真っ暗闇でした。
嵩山不動滝(スセフドウタキ) 落差4m 評価4
 姫街道に車を停めて、5分ほどで到着しました。
 今日は雨が降っていたので、幾筋もの流れが見える滝でしたが、普段は水量が少なそうです。修行用と思われる取水パイプが見えました。この点は県境をはさんで反対側の湖西市の不動滝と同様です。
 滝の映像



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