甲府城日本庭園枯滝石組(Kofujyonihonteien takiiwagumi)

山梨県甲府市丸の内1丁目5
 甲府城の中の日本庭園に枯滝石組があります。



撮影2025/5/5〜6
 2日かけて武田氏ゆかりの4つの城に行ってきました。
 最初は百名城に選定されている甲府城(25番)、雅号で舞鶴城と呼ばれます。
 この城は直接、武田氏ゆかりと言う訳ではありません。武田氏が滅亡した後に豊臣氏、徳川氏によって新たに造られた城です。
 見事な野面積みの石垣がありました。
 2013年に復元された鉄門(クロガネモン)です。
 一番高いところに天守台がありました。天守閣はありませんが、現時点では、過去、天守閣があったかどうかは確認されていません。地元の商工会等からは観光目的での天守閣建設要望も出ているようですが、史実の裏付けがないと無理でしょう。
 天守台から南を見ると富士山がチョコンと頭を出していました。
 1880年に明治天皇が行幸された記念碑が立っています。
 背景のタワマンが気になったので乗りだしたら、2004年に復元された稲荷櫓が見えました。
 やっぱり櫓は堀から続く石垣越しに見ないと美しくないですね。
 1999年に復元された稲荷曲輪門を通って帰ります。
甲府城日本庭園枯滝石組 (コウフジョウニホンテイエンカレタキイワグミ) 落差2m 評価1
 帰りは日本庭園に立ち寄りましたが、二段になった枯滝石組がありました。滝つぼには小さな石が置かれています。お城の庭園ですから、もしかすると龍門瀑かもしれません。
 滝の映像
 滝から流れ出た流水を白石で表現しています。
 最下流には大海を表現しているのか一際広い空間が広がっていました。
 遊亀橋を渡って城外へ出ます。すると新しいのですが、歴史的景観のような一角がありました。2025年4月にオープンしたばかりの飲食物販等施設「小江戸甲府花小路」です。
 江戸情緒あふれる町並みとのことですが、歴史的裏付けのない施設はやはり空虚ですね。
 甲府城は武田氏滅亡後に豊臣氏、徳川氏によって新たに造られた城ですが、武田氏が拠点とした居城が甲府城から2キロほど北の百名城に選定されている武田氏館(24番)です。
 赤い橋を渡って神社に入りました。
 水堀が城であった面影を残しています。
 1919年に武田神社が創建され躑躅ヶ崎館の遺構は大半がなくなりました。
 でも神社は物凄い人気です。拝殿、社務所ともに大行列でした。山梨県民は武田氏が本当に好きなんですね。
 3つめの城は続百名城に選定されている要害山城(128番)です。
 情報収集のためにスタンプが設置されている甲府駅前の藤村記念館に行ったところ、係りのお姉さんが早口で色々教えてくれました。
 見所だけでなく、駐車場の場所も教えて貰いましたが、山頂まで片道30分、往復1時間とのことです。
 見取り図を見ると急斜面をジグザクに登り尾根に立つ名前の通りの要害の城でした。
 新府城の位置づけとしては、武田氏館が攻め落とされた時の最後の砦と言えるでしょう。
 いきなり斜面からスタートしました。
 道は良く整備されていますが、骨折あけの身には少しハードです。
 縦に掘られた堀は迫力がありました。
 ここに門があったのでしょう。
 江戸時代に造られた武田不動尊は宝剣ではなく武田菱が入った軍配を持っていました。
 裏には寄進者の名前と金額が彫られています。
 不動尊からは甲府の街並みが良く見えました。
 こちらは水神様と井戸です。
 主郭が近づいて来ました。
 最後の門跡です。
 主郭に着きました。
 東郷平八郎揮毫による誕生之地の石碑の通り、武田信玄はここで産まれたと伝わります。
 要害山の山頂標識もありました。やっぱりここは登山なんですね。
 主郭を過ぎると堀切もありました。ここで折り返します。
 藤村記念館のお姉さんからは往復1時間と言われていましたが、2時間もかかってしまいました。
 日没になったので、続日本百名城に選定されている新府城(127番)には翌6日に行くことにします。
 武田氏は織田・徳川に1575年の長篠の戦いで敗れ、その後も領内の侵攻を受けました。1581年12月、勝頼は信長の侵攻に備える為、甲府からこの地に府中を移して陣容を整えようとします。
 しかしながら戦局悪化を止めることは出来ず、わずか3ヵ月で放棄し、天目山の戦いにより滅亡しました。
 武田氏がいなくなった甲州の覇権を徳川氏と北条氏が争いますが、家康はこの城を本陣とし北条氏と対峙します。
 最終的には上野国を北条氏が、甲斐国・信濃国を徳川氏がそれぞれ領有することで和睦することになりました。
 マップを見る通り、七里岩という天然の要害に西側を守られているのがこの城の強みです。
 駐車場から城までは県道17号線沿いを歩きました。この道は旧甲州街道であり交通量が多く歩くにはかなり危険です。
 歩いていると急な石段がありました。ここを登れば直接本丸に行けますが、大手門の丸馬出しを見たいので、さらに県道沿いを歩きます。
 ここから時計回りに本丸を目指すことにしました。
 武田氏の城の特徴でもある丸馬出しの図解です。
 枡形虎口の遺構は良く残っていました。
 こちらが丸馬出しです。
 下に降りて三日月堀を見に行きました。
 本丸はかなり広く、神社や石碑、トイレもあります。
 新府城本丸跡の案内もありました。
 武田氏の遺訓を称えた石碑も立派です。
 武田勝頼公を祀った神社もありました。
 こちらは急階段を登ると辿り着く藤武稲荷神社です。
 帰りは二の丸経由で乾門を通って帰ることにしました。
 大きな窪地は井戸跡です。
 ここには橋がかかっていました。
 一之門、二之門に挟まれた乾門の枡形虎口も大手門の虎口同様、良く残されています。
 北側にも防御施設がありました。西出し構えと東出し構えです。
 最後は東出し構えを見て車に戻りましたが、新府城を見るのに要した時間は1時間20分でした。
 近くの韮崎市民俗資料館に百名城スタンプを押しに行ったのですが、係りの方に何か面白いものを展示していますかと尋ねたら、凄い土偶がありますよとのことです。
 その名もミス石之坪、個人的には国宝指定されている茅野市の縄文ビーナスより心打つものがありました。何よりも表情が素晴らしい。


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