北野天満宮庭園滝石組(Kitanatenmangu takiishigumi)


京都府京都市上京区馬喰町
  菅原道真を祀った神社で菅原道真がこよなく愛した梅の木が境内には1,500本も植えられています。
 百人一首には「このたびは 幣も取りあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」が24番に選定されていますが、失脚し大宰府に旅立つ時に詠んだ「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」があまりにも有名です。



撮影2023/9/30
  北野天満宮に滝石組があるとのことですので、再訪しました。
北野天満宮庭園滝石組 (キタノテンマングウテイエンタキイシグミ) 落差2m 評価1
  庭園が少し荒れてるのが残念ですが、曲水の宴に使用された流れの向こうに確かにありました。



撮影2021/5/2
 北野天満宮×大覚寺にそれぞれ伝わる源氏の重宝、鬼切丸(髭切)と薄緑(膝丸)の兄弟刀を同時展示する「両社寺の歴史と兄弟刀」展が開催されていましたので、大覚寺訪問の後、北野天満宮にも行ってきました。
 こちらが、今回の特別展の目玉とされる鬼切丸 (別名髭切) です。
 源氏に代々伝わる刀で平家物語には大覚寺の薄緑 (膝丸) と揃いで作られた兄弟刀との記述があります。
 北野天満宮の説明書きには銘安綱とあり、天下五剣の一つであり、日本刀剣最高峰との評価の高い童子切安綱 (東京国立博物館所蔵国宝) と同じ作者ということになりますが、真偽は定かではありません。
 この刀で罪人を試し切りしたところ、髭まできれいに切れたことで最初は髭切と呼ばれます。
 坂上田村麻呂、伊勢神宮、源頼光へと渡り、源頼光家臣の渡辺綱が鬼の腕を切り落としたことで鬼切と呼ばれるようになりました。その後、新田義貞、斯波高経へと渡り、最上氏へと伝来し、現在では北野天満宮所蔵となっています。
 一方、薄緑 (膝丸) の方は大覚寺で拝見させて頂きましたが、罪人を試し切りした際、頭の先から膝まで切れたというのが膝丸の由来だそうです。その後、蜘蛛切※、吠丸 (夜、蛇が泣くように吠えた為) と名を改め、源義経が所有した際、熊野の春の山にちなんで薄緑と名付けられました。
※能「土蜘蛛」の概要
 病気で臥せる源頼光のもとに法師に化けた蜘蛛の化け物が現れ、糸を繰り出し頼光をがんじがらめにしようとしました。源頼光は咄嗟に枕元にあった膝丸で斬りつけたところ、法師はたちまち姿を消し、その後、蜘蛛の化け物は源頼光の家臣によって退治されたという話です。これ以降、膝丸は蜘蛛切と呼ばれるようになったそうです。
 北野天満宮の境内には渡辺綱が美人に化けた鬼に連れ去られそうとした際に北野天満宮上空で鬼の腕を切り落として難を逃れたことを感謝し、「これも天満宮の大神のおかげ」と寄進した燈篭が今も立っています。



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