名古曽の滝跡(Nakoso no takiato)
京都府京都市右京区北嵯峨名古曽町 | ||
名古曽の滝跡は百人一首の55番、藤原公任の「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」が歌われた場所です。 |
名古曽の滝跡 (ナコソノタキアト) | 落差3m | 評価1 | |
藤原公任が訪れた時から1千年以上の月日が経っていますが、よくぞこの何の変哲もない石組を見てあれだけの歌を詠んだものです。 |
この後、「両社寺の歴史と兄弟刀」展を見る為に北野天満宮を訪問しました。 菅原道真を祀った神社で菅原道真がこよなく愛した梅の木が境内には1,500本も植えられています。 百人一首には「このたびは 幣も取りあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」が24番に選定されていますが、失脚し大宰府に旅立つ時に詠んだ「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」があまりにも有名です。 |
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「両社寺の歴史と兄弟刀」展では数々の名刀が展示されていました。 こちらは銘信濃守国広です。「北野天満天神豊臣秀頼公御造営之時、于時慶長十二丁未十一月日信濃守国広造」ですので、1612年に豊臣秀頼によって奉納されたものです。 |
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鎌倉時代初期作刀の銘助守で幕末に加賀藩前田家が奉納したものです。 | ||
こちらも加賀藩前田家から1702年に奉納された銘恒次です。 | ||
この刀も加賀藩前田家が1752年に奉納したもので、銘は備州長船師光応永九年 (1402年) とあります。 | ||
そしてこちらが、今回の特別展の目玉とされる鬼切丸 (別名髭切) です。 源氏に代々伝わる刀で平家物語には大覚寺の薄緑 (膝丸) と揃いで作られた兄弟刀との記述があります。 北野天満宮の説明書きには銘安綱とあり、天下五剣の一つであり、日本刀剣最高峰との評価の高い童子切安綱 (東京国立博物館所蔵国宝) と同じ作者ということになりますが、真偽は定かではありません。 |
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この刀で罪人を試し切りしたところ、髭まできれいに切れたことで最初は髭切と呼ばれます。 坂上田村麻呂、伊勢神宮、源頼光へと渡り、源頼光家臣の渡辺綱が鬼の腕を切り落としたことで鬼切と呼ばれるようになりました。その後、新田義貞、斯波高経へと渡り、最上氏へと伝来し、現在では北野天満宮所蔵となっています。 |
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一方、薄緑 (膝丸) の方は大覚寺で拝見させて頂きましたが、罪人を試し切りした際、頭の先から膝まで切れたというのが膝丸の由来だそうです。その後、蜘蛛切※、吠丸
(夜、蛇が泣くように吠えた為) と名を改め、源義経が所有した際、熊野の春の山にちなんで薄緑と名付けられました。 ※能「土蜘蛛」の概要 病気で臥せる源頼光のもとに法師に化けた蜘蛛の化け物が現れ、糸を繰り出し頼光をがんじがらめにしようとしました。源頼光は咄嗟に枕元にあった膝丸で斬りつけたところ、法師はたちまち姿を消し、その後、蜘蛛の化け物は源頼光の家臣によって退治されたという話です。これ以降、膝丸は蜘蛛切と呼ばれるようになったそうです。 |
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北野天満宮の境内には渡辺綱が美人に化けた鬼に連れ去られそうとした際に北野天満宮上空で鬼の腕を切り落として難を逃れたことを感謝し、「これも天満宮の大神のおかげ」と寄進した燈篭が今も立っています。 |
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