名古曽の滝跡(Nakoso no takiato)

京都府京都市右京区北嵯峨名古曽町
 名古曽の滝跡は百人一首の55番、藤原公任の「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」が歌われた場所です。


撮影2021/5/2
 名古曽の滝跡は大覚寺境内の大沢池の北側に位置しますので、まずは大覚寺へと向かいます。
 大覚寺は元々、嵯峨天皇(在位809年〜823年)の離宮でしたが、天皇崩御後、お寺に改められました。
 玄関では狩野永徳の「松に山鳥図」が迎えてくれます。
 狩野永徳は織田信長、豊臣秀吉など天下人に仕えた安土桃山時代を代表する絵師ですが、安土城、聚楽第、大坂城など燃えたり廃城になった建物が多く、現存する絵画は唐獅子図屏風など少ない為、非常に貴重です。
 ということで、この絵は複製画ですが、手前の輿は大覚寺統の後宇陀上皇 (1267〜1324年) が実際に使用されたものだそうです。
 続いて重要文化財の宸殿へと入ると安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍した狩野山楽の襖絵 (複製画) がありました。
 勅使門に向かって白砂が敷き詰められ、庭の中央には石舞台が置かれています。
 本日は重要文化財の薄緑 (膝丸) が特別展示されていたので、見てきました。
 写真撮影禁止でしたので、刀の写真は撮れません。
 北野天満宮×大覚寺にそれぞれ伝わる源氏の重宝である鬼切丸(髭切)と薄緑(膝丸)という兄弟刀を同時展示する「両社寺の歴史と兄弟刀」展が開催されていましたので、大覚寺訪問の後、北野天満宮にも行くことにしました。
 続いて大沢池へと向かいます。
 大沢池は中国の洞庭湖を模して平安時代前期に造られた日本最古の庭池です。
 池の左岸に沿って名古曽根の滝跡へと向かいますが、もみじロードと言うだけあって秋はきれいなんでしょうね。
 嵯峨天皇の離宮だった9世紀には水量豊富な滝だったようですが、藤原公任が訪れた999年の秋には滝殿は遺構となり滝水も流れていなかったようです。
 そこで詠んだのが「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」の歌ですが、意味は「かつて美しかった滝は涸れ、音も聞こえなくなってしまったが、名声だけは聞こえている。」というものです。
 滝と流れ、音と聞こえを組み合わせるとともに、た音とな音を強調するなど音にもこだわった技巧満載の歌です。 
名古曽の滝跡 (ナコソノタキアト) 落差3m 評価1
 藤原公任が訪れた時から1千年以上の月日が経っていますが、よくぞこの何の変哲もない石組を見てあれだけの歌を詠んだものです。
 この後、「両社寺の歴史と兄弟刀」展を見る為に北野天満宮を訪問しました。
 菅原道真を祀った神社で菅原道真がこよなく愛した梅の木が境内には1,500本も植えられています。
 百人一首には「このたびは 幣も取りあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」が24番に選定されていますが、失脚し大宰府に旅立つ時に詠んだ「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」があまりにも有名です。
 「両社寺の歴史と兄弟刀」展では数々の名刀が展示されていました。
 こちらは銘信濃守国広です。「北野天満天神豊臣秀頼公御造営之時、于時慶長十二丁未十一月日信濃守国広造」ですので、1612年に豊臣秀頼によって奉納されたものです。
 鎌倉時代初期作刀の銘助守で幕末に加賀藩前田家が奉納したものです。
 こちらも加賀藩前田家から1702年に奉納された銘恒次です。
 この刀も加賀藩前田家が1752年に奉納したもので、銘は備州長船師光応永九年 (1402年) とあります。
 そしてこちらが、今回の特別展の目玉とされる鬼切丸 (別名髭切) です。
 源氏に代々伝わる刀で平家物語には大覚寺の薄緑 (膝丸) と揃いで作られた兄弟刀との記述があります。
 北野天満宮の説明書きには銘安綱とあり、天下五剣の一つであり、日本刀剣最高峰との評価の高い童子切安綱 (東京国立博物館所蔵国宝) と同じ作者ということになりますが、真偽は定かではありません。
 この刀で罪人を試し切りしたところ、髭まできれいに切れたことで最初は髭切と呼ばれます。
 坂上田村麻呂、伊勢神宮、源頼光へと渡り、源頼光家臣の渡辺綱が鬼の腕を切り落としたことで鬼切と呼ばれるようになりました。その後、新田義貞、斯波高経へと渡り、最上氏へと伝来し、現在では北野天満宮所蔵となっています。
 一方、薄緑 (膝丸) の方は大覚寺で拝見させて頂きましたが、罪人を試し切りした際、頭の先から膝まで切れたというのが膝丸の由来だそうです。その後、蜘蛛切※、吠丸 (夜、蛇が泣くように吠えた為) と名を改め、源義経が所有した際、熊野の春の山にちなんで薄緑と名付けられました。
※能「土蜘蛛」の概要
 病気で臥せる源頼光のもとに法師に化けた蜘蛛の化け物が現れ、糸を繰り出し頼光をがんじがらめにしようとしました。源頼光は咄嗟に枕元にあった膝丸で斬りつけたところ、法師はたちまち姿を消し、その後、蜘蛛の化け物は源頼光の家臣によって退治されたという話です。これ以降、膝丸は蜘蛛切と呼ばれるようになったそうです。
 北野天満宮の境内には渡辺綱が美人に化けた鬼に連れ去られそうとした際に北野天満宮上空で鬼の腕を切り落として難を逃れたことを感謝し、「これも天満宮の大神のおかげ」と寄進した燈篭が今も立っています。


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