女渕の滝(Mebuchi no taki)
奈良県高市郡明日香村栢森 | 総合評価4 | |
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撮影2018/12/29 | ||
![]() 飛鳥寺付近は聖徳太子が摂政になった593年から694年に藤原京に遷都されるまでの102年間 (一時期、難波の宮に遷都した時代を含む) に渡って大和王朝の都があったところです。 |
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![]() というのも、飛鳥大仏は1196年の火災で火にさらされオリジナル部分が少ないとされたからですが、最新の研究では頭部はほぼオリジナルであることが分かりました。 また、制作以来、この地から動かされていません。ということは聖徳太子もこの場所で祈っていたということになり、そう考えるだけでこの仏様の価値は高まるでしょう。 ということで、国宝復活も近いと思うのですが、いかがでしょうか。 |
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※日本最古の仏像 善光寺は蘇我氏と物部氏が争っている中(物部氏は587年、丁未の乱で滅亡)、大阪の川に打ち捨てられた552年仏教伝来とともに百済からもたらされた仏像を本田善光さんが拾い上げて長野市に持ち帰ったのが始まりとされています。これが事実であれば善光寺の一光三尊阿弥陀如来は552年以前に制作された日本最古の仏像ということになりますが、一光三尊阿弥陀如来は絶対秘仏で誰も見たことがなく、話自体も史実の裏付けがありません。史実の裏付けがある仏像としては飛鳥大仏が日本最古になります。 |
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![]() 大化の改新の立役者である中大兄皇子と中臣鎌足は飛鳥寺で行われた打毬の会で親しくなったと言われています。 |
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![]() 玄室は長さ7.7メートル、幅3.5メートル、高さ4.7メートルもあります。 |
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![]() 栢森集落から林道へと入りしばらく走ると女渕の案内板がありました。滝は赤丸の案内板の向こうにかかります。 |
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![]() 日本書紀には642年に皇極天皇がここで雨乞い祈願を行ったとの記述があるそうです。 |
女渕の滝 (メブチノタキ)![]() |
落差3m | 評価4 | |
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男渕の滝 (オブチノタキ)![]() |
落差4m | 評価2 | |
![]() 滝の映像 |
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