最上稲荷本滝(Saijyoinari hontaki)


岡山県岡山市北区
 参道の道路上に巨大な鳥居が立っていますが、最上稲荷は正式には「最上稲荷山妙教寺」といい、日蓮宗のお寺である。



撮影20225/10/21
 まずは百名城に選定されている鬼ノ城(69番)へ向かった。
 吉備地方には、大和朝廷から派遣された吉備津彦命が鬼神を退治したという伝説が残り、桃太郎の原型ともいわれる。
 伝説では、鬼ノ城は鬼神の居城とされ、吉備津彦命と戦った舞台でもある。7世紀後半に築かれ、山頂の平坦地を石垣と土塁が2.8キロにわたって囲む広大な古代山城だ。
 駐車場から歩き始めると分岐があり、左は角楼、右は西門。まずは西門へ向かう。
 茶色の土塁は、土を層状に突き固める古代の高度な土木技術「版築工法」によって築かれたもの。
 西門の意匠はどこか鬼の城らしい威圧感がある。
 門としてだけでなく望楼としての役割も果たしていた。
 日本の古代山城で唯一見られる敷石だ。
 水門は水流に耐えるよう石積みになっていた。
 城壁の一部を長方形に張り出した角楼。
 いずれも古代山城の特徴がよく残っている。
 角楼からの眺めは絶景で、築城当時は南方に海が広がり、行き交う船を見渡せたという。
 続いて、続百名城に選定されている備中高松城(171番)へ向かう。
 戦国時代、三村氏の家臣・石川氏が築いた城で、1575年の備中兵乱で三村氏・石川氏が毛利氏に滅ぼされた後、清水宗治が城主となった。
 高松城が歴史に名を刻んだのは、羽柴秀吉による「水攻め」である。
 石垣を持たず土塁のみで構成された城で、周囲の沼が天然の堀となっていた。
 攻めあぐねた織田軍先方の秀吉は、城の周囲に2.6キロの堤防を12日間で築き、水攻めを敢行する。 籠城一ヵ月、城兵が飢餓に陥った頃、本能寺の変が勃発。
 秀吉は清水宗治の切腹と開城を条件に休戦を成立させ、京都へ大返し。明智光秀を討ち、天下統一への道を切り開いたのはよく知られる話だ。
 本丸へと橋を渡る。
 本丸には切腹した清水宗治の墓が静かに佇んでいた。
 水攻めの様子を描いた絵も展示されており、秀吉が龍泉寺の腰掛岩に座っていたという伝承が思い浮かぶ。
 最後に、前回見られなかった松寒庭を訪れた。
 お寺の方に案内していただき、庭へ向かう。
松寒庭涸滝石組(ショウカンテイエンタキイワグミ)地図 落差3m 時間5分 評価1
 ちょうど庭の手入れ中で梯子が置かれていたのが惜しい。離れ落ちの滝石組は形が美しく、水が流れればさらに映えるだろう。
 滝の映像



撮影2024/6/6
 最上稲荷は、伏見稲荷豊川稲荷に並ぶ日本三大稲荷だ。
 「稲荷」と聞くと神社を思い浮かべるが、ここは日蓮宗の寺院である。
 仁王門は神仏習合の名残を感じさせる独特の形をしている。
 本殿は1979年に建てられ、その大きさに圧倒された。
 御本尊は最上位経王大菩薩。日蓮宗では法華経を最上位の経典とするため、その名が付けられている。
 御本尊の像容は右手に鎌、左肩に稲束を背負い、白狐にまたがる天女の姿をしているが、まさに荼枳尼真天そのもののお姿だ。
 本殿の裏には法華経をモチーフとした花崗岩のレリーフがあった。
 さらに進むと1741年建立の旧本殿が現れる。
 旧本殿の近くから急な石段を登った。
最上稲荷本滝(サイジョウイナリホンタキ)地図 落差6m 評価3

落ち口が龍の形をした本滝が姿を現す。訪れた時は水量が少なかったが、ここで滝行が行われるのだろうか。
 滝の映像

 続いて、奈良時代8世紀中頃に創建されたと伝わる古刹・龍泉寺へ向かう。
 現在は日蓮宗最上教派の本山で、「最上本山 御瀧 龍泉寺」と称し、最上位経王大菩薩、八大龍王、鬼子母神、三面大黒天を祀る寺院である。
 駐車場裏には、1582年の高松城水攻めの際、秀吉が腰掛けたと伝わる太閤腰掛岩が残っていた。
 階段を降りて滝へ向かう。
最上の滝(サイジョウノタキ)地図 落差5m 評価3
 龍の口から勢いよく水が流れ落ちていた。最上位経王大菩薩と八大龍王を祀ることから、「最上の滝」あるいは「龍王の滝」と呼ばれている。
 滝の映像



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