続いて続百名城に選定されている浜田城(170番)へ行ってきました。 |
まずは車を浜田城資料館の駐車場に車を停めて情報収集します。 |
浜田護国神社に到着しました。 |
1619年に古田重治が大坂の陣および名古屋城普請での功績が評価され、伊勢松坂から石見浜田へ5万4千石で加増・転封され、1623年に城と城下町が完成します。 |
古田氏は二代で改易になりますが、重治の築いた城と町割りは近世浜田の基礎となりました。
この門は津和野藩武家屋敷から移築されたものです。 |
古田氏改易の後は譜代の松平(松井)家、本多家、松平(松井)家、親藩の松平(越智)家と親藩、譜代が外様の毛利に睨みを利かす体制が続きました。 |
1866年、第二次長州征伐では大村益次郎率いる長州藩に攻められます。藩主松平武聡は戦わずして逃走、浜田城、浜田の街に放火し、灰燼に帰しました。
まさに「自焼退城」、徳川幕府衰退の象徴となり幕府の威信低下と倒幕が加速し、ここから歴史が大きく動きます。 |
駐車場から20分で天守台に着きました。 |
第二次長州征伐で焼失したと思われていた天守は最新の研究で明治初めまで存在していたことが確認されています。
独立式望楼型3重4階の櫓で、本丸北西隅に設けられていました。 |
天守台からは浜田市の街並みが良く見えます。 |
それよりも別角度から見た松原湾が人工物が全く見えず驚きでした。まさに天然の要塞です。 |