轟二段滝 (Todoroki nidantaki)

愛媛県大洲市肱川町大谷
 轟二段滝は大洲市郊外にある滝で轟龍王伝説が残ります。



撮影2025/9/29
 江戸時代の1748年、修験者・快仙が滝に洗濯に行ったまま戻ってこない下女を探しに行きますが、滝には洗濯物しかありません。そこで滝つぼに入ると岩屋で糸を紡いでいる下女を見つけます。下女は龍に嫁いだのでもう人間界には戻れませんと言います。快仙は後生の供養を約束し轟龍王神として祀ったのがこの祠です。
 何年か後、大干ばつがあると「雨乞をすれば主人の龍に取り次ぎます。」と下女の霊が快仙の夢に現れました。早速、村人と一緒に轟龍王神で雨乞をすると俄かに大雨が降って干ばつが解消したというのが轟龍王に伝わる伝説です。
 轟龍王神の裏手から滝つぼに降りる道は通行止でした。
 少し下流の階段から沢に降りることにします。
 急な階段を慎重に降りました。
 轟龍王神の裏手からの橋が見えます。
 5分もかからずに滝つぼに着きました。
轟二段滝(トドロキニダンタキ) 落差15m 時間5分 評価7/10
 右手前に大きな岩が飛び出しており流身を隠す姿はいかにも神秘的です。この姿が信仰された理由でしょう。
 滝の映像
 続いて百名城に選定されている大洲城(82番)へ行ってきました。
 大洲城は鎌倉時代末期の1331年、守護の伊予宇都宮氏が築城したのが始まりと伝わります。
 1595年に入城した藤堂高虎、さらに1609年に洲本から転封された脇坂安治の時代に天守をはじめとする建造物が建立され近世城郭として整備されました。
 そして、12代続いた加藤氏の代に明治維新を迎えます。
 城内に入ると城建設を描いた人形のジオラマがありました。一人一人の表情が実にリアルです。
 天守閣は明治に入り解体されますが、2004年に伝統工法に基づき木造で復元されました。
 天守閣からはこじんまりとした大洲市街(人口3万7千人)が一望出来ます。過疎化が進む地方都市で財政も厳しいでしょうによくぞ木造復元しましたね。
 設計費等を含む総事業費16億円の内、市民等からの寄付で5億円を集めたことも立派です。



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