天赦園の滝 (Tenshaen no taki)

愛媛県宇和島市天赦公園1
 天赦園は1672年、宇和島藩2代藩主、伊達宗利が海を埋め立てて造成したのが始まりで、7代藩主、伊達宗紀が移居し1866年、庭園を整備し天赦園と命名しました。
 鬼ヶ城連峰を借景とした池泉回遊式の庭園で1968年に国指定名勝となります。



撮影2025/9/29
 園内に入ると芝生の緑がきれいでした。
養老の滝 (テンシャエンヨウロウノタキ) 落差1m 時間2分 評価1
 本家の養老の滝が聞いたら怒りそうな滝です。
 子孫繁栄を願う陰陽石がありました。
 海を埋め立てた庭園ですが、この石は埋め立てる前に船の綱引きに使われていた綱引石です。
 亀石は確かに亀の甲羅のような石でした。
 天赦園は池泉回遊式の大名庭園です。
 中島は不老長寿の仙人が住むとされる蓬莱山を表現しており、陰陽石とともにこの庭園のテーマである長寿を表現しているのでしょう。
 茶室は春雨亭です。
 枯れ流れがありました。
 上流へと辿って行きます。
 石の道は歩きずらいので隣の竹林の中にある苔の丸石伝いに歩きました。
 最上流には滝石組があります。
枯滝石組 (カレタキイワグミ) 落差2m 時間4分 評価1
 立石、滝添え石などで滝を表現していました。
 伊達家は藤原氏の祖、藤原鎌足を祖先としていますので、藤を祖先の象徴としています。
 4月上旬、藤の花が咲く藤橋を見たかったですね。
 出島にある陰陽石は実にリアルです。
 伊達氏が居城とした百名城に選定されている宇和島城(83番)へ行ってきました。
 歴史を感じさせる石垣です。宇和島城史は941年、橘遠保が藤原純友の乱鎮定の際、この地に砦を構えた板島丸串城まで遡るというから凄いですね。
 戦国時代になって城づくりの名人、藤堂高虎が板島丸串城跡に築いた城が宇和島城です。
 1614年、 伊達政宗の長男、秀宗が10万石で入封し、以後、宇和島伊達家は9代続き、明治維新を迎えました。
 天守閣以外、石垣しかありません。太平洋戦争末期の宇和島空襲を生き残り、現存12天守の一つになりました。
 三重三階の小さな天守閣ですが、千鳥破風、唐破風の外観は豪華です。
 国宝ではなく重要文化財なのは江戸前期ではなく寛文期の1671年に竣工されたからでしょうか。
※城郭の国宝指定要件
 文化財保護法上は次の通り究めて曖昧ですが、過去の事例から「城郭様式が定まった江戸時代前期以前の建物」が国宝指定の要件となっているようです。

重要文化財
 建築物、土木構造物及びその他の工作物のうち、次の各号の一に該当し、かつ、各時代又は類型の典型となるもの
 (一) 意匠的に優秀なもの
 (二) 技術的に優秀なもの
 (三) 歴史的価値の高いもの
 (四) 学術的価値の高いもの
 (五) 流派的又は地方的特色において顕著なもの
国宝
 重要文化財のうち極めて優秀で、かつ、文化史的意義の特に深いもの
 
 派手な鎧兜が三つ並んでいます。さすが伊達家!
 宇和島城の屏風もありました。
 天守閣からは城下町も一望出来ます。
 海も近いですね。



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