坂本の滝(Sakamoto no taki)

滋賀県大津市坂本
 坂本は延暦寺および日吉大社の門前町として古くから栄え、日吉大社参道の両側には比叡山の隠居した僧侶が住む里坊が並び、穴太衆積みと呼ばれる石垣が街路を形成し、里坊には池泉式庭園が造られました。


撮影2021/8/10
 滋賀院門跡は延暦寺の本坊で、江戸時代末まで天台座主の居所だった所です。
 門をくぐると江戸時代初期の天台宗僧侶、天海の廟所である慈眼堂がありました。
 天海は徳川家康に仕えた僧侶で徳川幕府の政治にも大きく関与しました。家康亡き後の神号を東照大権現と決めたのも天海と言われています。
 慈眼堂を過ぎ滋賀院門跡の通用門に着きました。
 天台座主は皇族が務めることが多かった為、滋賀院門跡は高い格式を誇り、堂々とした外構えが印象的で高貴な風情が今に残っています。
 石垣はもちろん穴太州が組んだものです。
 江戸時代中期の絵師、丸山応挙作と伝わる犬を描いた屏風です。
 丸山応挙は足のない幽霊を初めて描いたと言われ、犬をキャラクター化したことでも有名です。
 こちらはヒムロスギやアカマツなどの植木だけからなる「蹴鞠(けまり)の庭」と呼ばれる庭園です。
 羅漢の間です。
 二階書院には天海が着用したと伝わる鎧がありました。布と紙のみで作られており、儀式用に使用されていたものです。
 襖絵は鈴木松年画伯による松の図です。襖の引手を龍の目に見立てて描いています。
 左側は織田信長が寄進した大鏧子、右側は第10代将軍徳川家治が寄進した鏧子です。
 こんなに大きければきっと良い音がなるのでしょう。
 襖絵は桃山時代の長谷川派 (長谷川等伯が創始) 絵師によるもので、滋賀院門跡では最も古い絵画です。
 座主接見の間です。真っ赤な掛軸がひときわ目を引きますが、清国皇太后の還暦の祝賀に天皇陛下より寄贈の目的で造られた太陽麒麟の原画で、日清戦争の勃発により贈呈されることなく宮中に納められ延暦寺へ下賜されたものです。
 宸殿からは国の名勝に指定されている池泉式庭園を鑑賞することが出来ます。
 亀石と鶴石を当てようというクイズがありました。
 亀はすぐにわかりました。頭と手足もはっきりとわかります。
滋賀院門跡庭園の滝 (シガインモンゼキテイエンノタキ) 落差3m 評価2
 鶴は滝そのものでした。滝石組を鶴の首に見立て両側に鶴の羽に見立てた石を配置するというものです。
 滝の映像
 続いて芙蓉園という料亭に向かいました。
 滋賀院門跡もそうですが、坂本には穴太州が組んだ石垣が至るところに残っています。
 丁度お昼時でしたので、そばとゆばのランチを頼みました。
 料理を待っている間に庭園を散策することにします。
 庭園は坂本の延暦寺里坊群の一つである白毫院境内に江戸時代初期に築造された回遊式庭園で、明治時代初期に芙蓉園の所有となりました。
 こちらは江戸時代初期に飢饉で飢えた人々を救済する為、造られた洞窟です。
 置き石を三蔵に見立てた枯滝です。
 池の背後から料亭を撮ってみました。
 庭園には落差のある滝がかかっており、白毫乃滝と名付けられています。
白毫乃滝 (ビャクゴウノタキ) 落差5m 評価3
 樋口からわずかな水が流れていました。
 滝の映像
 続いて日吉大社参道を挟んで芙蓉園の反対側にある旧竹林院へ向かいます。
 延暦寺里坊群の一つ、旧竹林院境内南西にある回遊式庭園です。
 現在は個人所有ですが、近代庭園として国の名勝に指定されています。
 2018年より座卓を活用したリフレクション撮影ができるようになりました。
 カメラを座卓の端に固定して撮影したものですが、庭園が座卓に写りこんで独特の景観を楽しむことが出来ます。
旧竹林院の滝 (キュウチクリンインノタキ) 落差5m 評価3
 滝は茶室のところから流れ落ちていました。
 滝の映像


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滝の評価はあくまでも私個人の主観にもとづくものです。又、評価は気象条件等によっても変わることをご承知おき下さい。
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