旧秀隣寺庭園の滝(Kyusyurinjiteien no taki)

滋賀県高島市朽木岩瀬
 旧秀隣寺庭園は朽木の興聖寺にあります。


撮影2021/8/10
 コモンバの滝へ行った帰りに朽木の観光マップを見ていたら、旧秀隣寺庭園の池の絵が気になったので寄ってみることにしました。
 拝観料300円を払ったところ、お寺の方が堂内を案内してくれました。
 こちらは平安時代後期作のご本尊、釈迦如来坐像で国の重要文化財です。
 後一条天皇の皇子が幼少のときに亡くなられ、天皇の叔父藤原頼通がその供養のために三仏を彫らせたうちの一体であると言われています。
 藤原頼通と言えば、道長の息子で藤原氏の全盛時代を築き宇治平等院鳳凰堂を造営したことでも有名です。
 朽木時経が北条高時の命により千早城焼き討ちの際に楠木正成の念仏寺である不動明王が兵火にあいそうになるところを捧持し帰館したもので、以後、興聖寺の鎮守として祀られています。要するに、戦火の混乱に乗じて略奪してきたようです。
 お寺の方は、現在、誰からも返還要求がないので興聖寺のものだと仰っていました。さすがに700年前のことなのでとっくに時効になっているようです。
 お寺の左側に日本庭園がありました。現在、復元中とのことです。
 1530年、室町時代12代将軍足利義晴が戦火を逃れ朽木氏を頼って、この地に3年ほど滞在されたそうです。その際、銀閣寺庭園をもとに造営されたのが本庭園で別名足利庭園と言われます。
 又、13代将軍足利義輝は細川幽斎 (藤孝) など家臣を従え、6年間この地に滞在されたそうです。その際、細川幽斎は熊川城主の娘、沼田麝香(ぬまた じゃこう)を娶り忠興が生まれます。忠興は後に千利休をこの庭園に案内したそうです。
 尚、関ヶ原の戦いの際に西軍の人質となることを拒んで大坂玉造の細川屋敷で自害した細川ガラシャは忠興の正室に当たります。
 こちらが庭園全景になります。
 手前の島は鶴島で一部亀の要素も見られます。
 こちらは亀島です。
旧秀隣寺庭園の滝 (キュウシュウリンジテイエンンタキ) 落差2m 評価1
 枯滝石組がありました。お寺の方に聞いたところ、昔は池にも水があって滝もちゃんと水が流れていたそうです。現在、補修中とのことでした。


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