清瀧の滝(Kiyotaki no taki)


静岡県浜松市天竜区二俣町二俣 総合評価4
 天竜区二俣は徳川家康の嫡男、岡崎三郎信康が非業の最期を遂げたところとして有名です。また、ホンダの創業者である本田宗一郎氏の生家が近くの旧光明村にあることから本田宗一郎ものづくり伝承館や文化勲章受賞の日本画家、秋野不矩画伯の作品を展示した秋野不矩美術館などがあります。


撮影2013/7/21
 清瀧の滝は浜松市天竜区二俣にあり、若くして切腹させられた岡崎三郎信康の菩提を弔う清瀧寺の入り口にかかります。
 岡崎三郎信康が切腹した二俣城跡です。
 信康は家康の嫡男で、信長の娘徳子と同じ9才で結婚しています。ところが、夫婦仲が悪く、徳子の信長への讒言(母親の築山御前が武田氏に内通している等々)が原因で信長から信康と築山御前を殺害するよう命令され、泣く泣く信康は切腹、築山御前は殺害したというのが、通説になっています。
 ところが、最新の研究では、岡崎城の信康が武田と組んで家康に反旗を翻す可能性があった為、築山御前もろとも死に追いやったという説が有力視されています。
 いずれにしても真相はやぶの中、戦国時代ならではの悲劇ですね。
 築山御前は申し開きの為、岡崎城から家康のいる浜松城まで来る途中、佐鳴湖岸で付き添いの野中重政らに暗殺されてしまいました。その場所が現在の浜松医療センターのあるところで、刀についた血を洗ったのが太刀洗の池地図です。
清瀧の滝(キヨタキノタキ)地図 落差2m 評価2
 清瀧の滝は清瀧寺の入り口にかかりますが、滝つぼには鯉が泳ぐなど大変良く整備されており、付近の方の信康に対する敬愛の念が深いのがわかります。
 滝の映像
 尚、清瀧寺の向かい側には本田宗一郎ものづくり伝承館があります。通常、企業の創業者を顕彰する博物館は、自社のPRも兼ねて立派な展示をしているのが一般的ですが、こちらは浜松市から委託を受けたNPO法人が運営しており、ホンダとは全く関係がない為、こじんまりとした施設になっています。郷土の偉人を顕彰し、その精神を伝えていく活動をしているとのことです。
 この施設で学んだ子供たちが再び世界的な企業を創業出来たらいいですね。
 とはいえホンダは既に浜松市から本社を東京に移転させ、四輪も二輪も浜松では生産しておらず、浜松市への貢献度は高くありません。一方、浜松市には、スズキ(2023年末時価総額3兆円)、浜松ホトニクス(同9千億円)、ヤマハ(同6千億円)、河合楽器(同3百億円)など世界的企業が何社もありますが、本田宗一郎氏を顕彰する施設だけが浜松市の税金で建設、運営されています。なぜこのような不合理なことになったかというと、本田宗一郎氏は1973年に天竜市の名誉市民となりましたが、天竜市は2005年の浜松市との合併に際し、郷土の偉人である本田宗一郎氏の顕彰施設を作ることを条件に合併を承認したからだそうです。
 2023年現在で浜松市には17人の名誉市民が選ばれていますが、内訳をみると、旧浜松市出身者が4人であるのに対し、旧天竜市5人、旧春野町5人、旧浜北市2人、旧引佐町1人と、圧倒的に被合併市町村の割合が多くなっています。世界的企業の関連人物としては、本田宗一郎氏の他、ヤマハの川上嘉市氏 (旧浜北市出身) 、浜松ホトニクスの高柳健次郎氏 (旧浜松市出身、創業者の先生) が選ばれていますが、市の顕彰施設は作られていません。
 個人的には日本で最も小さな自動車メーカーであったスズキを世界的なメーカーに躍進させた鈴木修氏が名誉市民でないのが不思議でなりません。これほどの功績を残しても浜松市民から尊敬されないのであれば、ホンダのようにいっそのこと本社を東京かデリーに移してしまえばいいのにと思います。


撮影2015/4/19
 二俣川は天竜川が氾濫すると水が逆流する水害が絶えなかった為、江戸時代末期に天竜川との接続口を西側から南側に変更したそうです。また、少し上流の烏帽子山と浅間山の間も人工の運河で、昭和になってから堀削されたそうですが、ここに二光滝がかかります。
 烏帽子山のふもとに鳥居があったので行ってみることにしました。小角役行者尊とかかれた鳥居をくぐりセメントの階段を登ります。
 中ほどに二光青不動明王と書かれたお不動様がいらっしゃいました。これが二光滝の名前の由来でしょうか。
 終点まで行くと小角役行者が祀られています。
 そこからは二俣の町並みが一望出来ました。
 鳥居のところまで戻り二俣川を見ると切り立った崖になっており、ここを掘削するのは結構大変だったろうと思います。
二光滝(ニコウタキ)地図 落差2m 評価4
 人工的にショートカットした為、段差が出来ました。
 落差はそれほどでもありませんが、本流の滝ですので水量も豊富で結構迫力があります。夏になると滝つぼで水遊びするようです。
 滝の映像
 近くにある二俣出身の秋野不矩画伯の作品を常設展示している秋野不矩美術館へ行って来ました。車は下の駐車場に停めます。
 歩いていると妖しげなレリーフがありました。秋野不矩画伯は日本画家ですが、50代からインドに傾倒したそうです。このレリーフはインドの女性を表現したものです。
 5分ほどで美術館に到着しました。独特な雰囲気を持った建物です。
 建物の中も日本古来の美と近代とをうまく融合したものになっています。
 秋野不矩画伯は1908年にこの地で生まれ、19歳で千葉の石井林響氏に弟子入り、その後、京都で学び官展に出品しながら次第に認められたたそうです。
 所蔵品が全て展示されている訳ではなく6回に分けて1年間で展示されるそうです。
 又、特別展も不定期に実施され、来週から加山又造展が開催されるそうです。桜はもう散ってしまいましたが、ポスターの桜と月の絵を見たら、再訪したくなりました。
 尚、秋野不矩画伯は浜松市の名誉市民であります。


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