観音院庭園滝石組(Kannoninteien karetakiiwagumi)


鳥取県鳥取市上町
 観音院は江戸時代初期の1630年代前半に僧・宣伝によって創建された天台宗の寺院です。



撮影2025/10/20
 百名城に選定されている鳥取城(63番)へ行ってきました。
 鳥取城は16世紀中頃、山名氏が山城として築城したのが始まりです。
 以後、山名氏・武田氏・尼子氏・毛利氏の争奪戦の舞台となり、織田信長の中国攻めでは、羽柴秀吉が籠城する山名豊国を兵糧攻めにより攻略しました。
 開城後、入城した宮部継潤によって山上ノ丸の改修が行われ、江戸時代には鳥取藩池田氏の治下に入り、麓の二の丸以下の曲輪が拡張されます。
 初代天守と江戸期天守は久松山山頂の山上ノ丸に築かれますが、焼失後は麓の二の丸に三階櫓が建てられ、明治初期の廃城令で解体されました。現在は石垣が残るのみです。
 2006年度から30年かけて幕末期の姿へ木造復元する計画が進められているので、そのうち、雄姿を見ることが出来るかもしれません。
 天球丸は女性用の御殿や櫓があったと考えられている曲輪で、広々としていました。
 天球丸からは鳥取市内が一望出来ます。
 天球丸の石垣にある巻石垣は初めて見ました。崩落しかけた石垣を補強するために、力を分散させる構造として設計されたからだそうです。でも敵からは簡単に登られそうですね。
 続いて観音院へ行きました。
 観音院は江戸時代初期の1630年代前半に僧・宣伝によって創建された天台宗の寺院で、江戸時代中期に作庭された池泉鑑賞式庭園があります。
 まずは額縁庭園を観賞しました。
 靴に履き替えて庭園の前に出ます。
 築山に登って反対側から見ることも出来ました。
 池の右側にある灯籠が鶴出島です。
 中央には亀島がある鶴亀庭園でした。亀島の奥には滝石組もあります。
観音院庭園滝石組(カンノンインテイエンタキイワグミ) 落差5m 時間3分 評価2
 ほとんど水が流れていませんが、雨が降ると裏山からの流れで滝が見られるかもしれません。
 滝の映像
 最後は続百名城に選定されている若桜鬼ヶ城(168番)へ行ってきました。
 駿河国安倍郡矢部村の地頭一族であった矢部氏が1200年頃、梶原景時一族が鎌倉を追われた際、幕府の命を受け駿河国清見関にて梶原一族を討ち取り、恩賞として矢部暉種がこの地を賜り築城したのが始まりです。
 その後、城主は目まぐるしく代わりますが、一国一城令により廃城となりました。
 山上の駐車場に車を停めて歩いて行きます。
 山城なので狭い道が続いていました。
 二の丸に出ました。
 二の丸に立派な石碑があります。
 虎口を抜けると本丸に出ました。
 天守台からは但馬方面と播磨方面の道が合流するのが見え、ここに築城した意図が良く分かります。
 眼下には若桜鉄道終点の若桜駅も見えました。



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