権現の滝(Gongen no taki)

大阪府四條畷市大字南野
 続百名城に選ばれている飯盛城(160番)から山を下ったところに、権現の滝がひっそりと佇んでいる。



撮影2019/1/27
 この日は奥さんとともに、権現の滝と飯盛城を歩いて巡ることにした。
(携行装備)
 ・登山靴、ダブルストック、帽子、耳当て、手袋、セーター、レインウェア、スキーウエア(上)
 ・GPS、コンパス、高度計、気圧計、温度計、地図、デジカメ、ヘッドライト
 ・食料(キャラメル×1、チョコレート×2、ペットボトル×2)
(10時45分)
 楠公寺に車を停め、まずは権現の滝を目指して滝谷楠水の場へ向かう。
(10時55分)
 滝谷楠水の場で10分ほど休憩し、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
(11時5分)
 緩やかな下り坂を進むと、権現の滝への分岐に着く。
 渓谷沿いの道を歩いていくと、やがて緑の文化園方面との分岐に出た。ここを右へ折れ、権現の滝へ向かう。
 しばらくすると鳥居が現れ、滝が近いことを知らせてくれる。
(11時15分)
 滝前に到着した。小さなお不動様が静かに祀られている。
権現の滝 (ゴンゲンンタキ) 落差10m 評価5
 行場の滝という印象から、正直あまり期待していなかったのだが、目の前に現れた滝は想像以上に立派だった。生駒山周辺の滝の中でも、ひときわ存在感があるのではないかと思う。
 滝の映像
(12時5分)
 奥さんとゆっくり歩きながら楠公寺へ戻ると、すでに正午を過ぎていた。
(12時12分)
 続いて飯盛城へ向かう。
(12時18分)
 山頂に立つと、少し霞んでいたもののアベノハルカスの姿が遠くに見えた。
 飯盛城は南北朝時代から戦国時代にかけて使われた大規模な山城である。
 四条畷の戦いで弟・正時と刺し違えて自決した楠木正行(クスノキマサツラ)の銅像が立っていた。正行は楠木正成(皇居前の銅像で知られる)の嫡男で、南朝の後村上天皇に仕えた南北朝時代を代表する武将である。
(13時00分)
 南北朝時代には南朝・北朝の両皇統が並び立っていたが、明治時代に入り、どちらが正統かを巡って論争が起こった。最終的には明治天皇の裁断により南朝が正統とされる。
 南朝の天皇が三種の神器を保持していたこと、また水戸光圀が編纂した『大日本史』が南朝を正統と位置づけていたことも影響したとされる。
 これを受け、南朝に仕えた楠木正行は尊王思想の象徴として再評価され、彼を主祭神とする四条畷神社が創建された。
※大日本史は南朝を正統と主張
 南朝方武将であった清和源氏の流れを組む新田義重が徳川氏の祖先であったかのように系図を操作したことが影響



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