人吉城御館跡庭園涸滝石組 (Hitoyoshijoyakataatoteien karetakiiwagumi)

熊本県人吉市麓町
 百名城に選定されている人吉城(93番)は源頼朝に仕えた遠江国相良荘(現在の静岡県牧之原市)国人の相良長頼が1205年、肥後国人吉荘の地頭に任ぜられ築いたのが始まりです。



撮影2025/10/13
 1766年につくられた御館御門橋が見えました。
 この石橋の先に相良護国神社があります。
 専横の振る舞いが著しい家老の罪状を城主が幕府に訴え出たところ、家老の息子が反乱を起こし城に火をつけました。城下の武士が駆け付けたところ大手門が開かないので、大童三五冗がこの石で門を打ち破ったという力石です。
 700年にわたり城主を務めた相良家の歴代藩主や地域の戦没者を祀る神社で、1880年に建立されました。
 二つの石橋と奥の築山から流れ落ちる滝石組が特徴的な池泉庭園です。
人吉城御館跡庭園涸滝石組(ヒトヨシジョウオヤカタアトテイエンカレタキイワグミ) 落差1m 時間5分 評価1
 手入れはされていないようで雑草が生え放題なのが残念でした。
 滝の映像
 相良氏は領地は狭まったものの豊臣秀吉の九州平定、関ヶ原の戦いを生き残り、明治維新まで続きます。
 天守はなく護摩堂が置かれました。
 幕末の火災後に儲けられた石垣は上部がせり出した武者返しと呼ばれる独特な形をしています。
 人吉城は川にも面していました。
 幅広の石垣は風格があります。
 石垣は良く保存されていました。
 最上段の本丸跡には建物の礎石があります。
 年季の入った本丸跡の案内がありました。
 近くには人吉城歴史館があります。私の故郷が牧之原市だと係りの方にご挨拶すると大変喜んで頂きました。
 人吉城歴史館は家老の相良清兵衛屋敷跡の上に建てられており、地下室がそのまま遺跡になっています。
 実は力石のところで書いた専横が著しい家老は相良清兵衛でした。相良家存続の立役者だったことから厚遇されましたが、やがて藩を私物化し、困った藩主が幕府に届けて、結局、弘前に流罪になったそうです。



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