佛通寺銀九瀑 (Butuji ginkubaku)

広島県三原市高坂町許山
 佛通寺銀九瀑は三原市の佛通寺境内にかかります。



撮影2025/10/1
 駐車場に車を停めて歩いて向かいます。
 池が見えました。何の変哲もない池ですが、実は雪舟作と伝わる池で崑崗池という立派な名前も付いています。
 雪舟と言えば枯山水を連想しますが、普通に見ただけではただの汚い池にしか見えないですね。
佛通寺銀九瀑 (ブッツウジギンクバク) 落差25m 時間0分 評価1
 池の背後に崖がありますが、水は流れていません。人工滝で元栓を止めているようです。
 実はこちらも李白の詩「望廬山瀑布」の一節から命名された由緒正しい滝でした。
 でも、銀河の真上から落ちてくる滝(銀河落九天)にはとても見えません。名前負けしてるかな・・・。
 滝の映像

※望廬山瀑布
 日照香炉生紫煙
 遥看瀑布掛長川
 飛流直下三千尺
 疑是銀河落九天
 道路を挟んで反対側に大きな広島県天然記念物のイヌマキがありました。
 佛通寺は臨済宗佛通寺派の大本山です。
 仏殿の前に枯山水がありました。心が洗われますね。
 特に波紋がきれいです。きっと毎日作っているのでしょう。
 続いて三原市の続百名城に選定されている三原城(172番)へ行ってきました。
 こちらの絵は1802年、広島藩士で画家の岡岷山の画いた絵の複製で江戸時代の三原城の様子が良く分かります。
 三原城は1567年に小早川隆景によって築城されました。背後の桜山を詰城とし、瀬戸内海にに面した軍港とを一体化した壮大な城です。
 今では当時の面影はかろうじてこの石垣と堀に残るのみで、他はことごとく取り壊されました。
 新幹線駅近くに天守台跡への入口があります。
 国指定史跡には見えないわびしい看板がありました。
 まさに荒城の月です。
 続いて続百名城に選定されている新高山城(173番)に行ってきました。
 駐車場に車を停めて大手道入口から山頂を目指します。
 ここから本格的な山道になりました。
 新高山城は1296年、小早川氏によって築かれ、1596年、本拠地を三原城に移すと同時に廃城となる300年間、利用されます。
 但し、1552年に移すまで本拠は沼田川対岸の高山城でした。
 小早川氏の菩提寺だった匡真寺跡に到着です。
 中の丸(二の丸)跡に到着しました。本丸まであと少し。
 入り口から30分で本丸に到着しました。
 この辺には仏様が一杯です。山頂標識も千手観音でした。
 山頂からは1552年まで小早川氏の本拠地だった高山城跡も良く見えます。
 最後は百名城に選定されている吉田郡山城(72番)に行ってきました。
 吉田郡山城は築城年ははっきりしていません。毛利氏12代目の毛利元就が入城してから山城から近代的な城郭へと変貌を遂げました。
 毛利元就は国人領主から中国地方随一の戦国大名へと昇りつめ、一貫して郡山城を本拠とします。
 郡山城は1591年に廃城となりますが、墓所はこの地に残り、篤く保護されてきました。
 郡山城には古墳もあります。
 二の丸跡にに着きました。本丸まであと少し・・・。
 入口から30分で本丸跡に到着です。毛利元就、息子の輝元ともにここで居住していました。
 北端は一段高く櫓状になっています。
 北丸跡の石碑も中国地方の覇者に相応しく立派でした。



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