| 撮影2025/10/14 |
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「あの花が咲く丘で」を見た影響もあり、知覧特攻平和会館へ行ってきました。 |
知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期に特攻作戦で命を落とした陸軍特別攻撃隊員の遺品や記録を展示し、平和の尊さを伝える歴史資料館です。 |
館内では映像での特攻の説明や一人一人の手記・遺品が展示されており、涙を誘いました。ゼロ戦の残骸も展示されていましたが、海軍ではゼロ戦が最も特攻に使われています。 |
三角兵舎は空襲で見つけられないように地下を掘り屋根を低くした兵舎で特攻隊員はここで寝泊まりしました。 |
どんな気持ちで夜を過ごしたことでしょうか。 |
続いて続百名城に選定されている知覧城(198番)へ行ってきました。
知覧城は、平安時代末期、知覧忠信が築いたのが始まりです。室町時代、島津忠宗の三男・佐多忠光がこの地の領主となり、一時、伊集院一族に奪われますが、取り返し、以後、佐多氏が幕末まで領主として治めました。 |
但し、知覧城は1615年、11代当主・佐多久達の時に出火で炎上し廃城になります。 |
自然の地形を利用し空堀としている点が特徴で幾つもの堀が巡らされていました。 |
本丸へと行きます。 |
ちゃんと枡形虎口もありました。 |
立派な石碑です。 |
江戸時代、薩摩藩は領地を外城と呼ばれる102の地区に分け、地頭や領主の屋敷である御仮屋を中心に麓と呼ばれる武家集落を作り、鹿児島に武士団を結集させることなく分散して統治にあたらせました。知覧武家屋敷もその一つです。 |
最初は森重堅邸庭園へ行きました。 |
森重堅邸庭園は知覧武家屋敷庭園で唯一の池泉庭園です。 |