知覧武家屋敷庭園滝石組(Chiranbukeyashikiteien takiiwagumi)


鹿児島県南九州市知覧町郡
 知覧武家屋敷は、約280年余り前、知覧領主(18代)島津久峰時代の武士小路区割の名残りで、武家屋敷通りと屋敷庭園が保存されている風致地区です。



撮影2025/10/14
 「あの花が咲く丘で」を見た影響もあり、知覧特攻平和会館へ行ってきました。
 知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期に特攻作戦で命を落とした陸軍特別攻撃隊員の遺品や記録を展示し、平和の尊さを伝える歴史資料館です。
 館内では映像での特攻の説明や一人一人の手記・遺品が展示されており、涙を誘いました。ゼロ戦の残骸も展示されていましたが、海軍ではゼロ戦が最も特攻に使われています。
 三角兵舎は空襲で見つけられないように地下を掘り屋根を低くした兵舎で特攻隊員はここで寝泊まりしました。
 どんな気持ちで夜を過ごしたことでしょうか。
 続いて続百名城に選定されている知覧城(198番)へ行ってきました。
 知覧城は、平安時代末期、知覧忠信が築いたのが始まりです。室町時代、島津忠宗の三男・佐多忠光がこの地の領主となり、一時、伊集院一族に奪われますが、取り返し、以後、佐多氏が幕末まで領主として治めました。
 但し、知覧城は1615年、11代当主・佐多久達の時に出火で炎上し廃城になります。
 自然の地形を利用し空堀としている点が特徴で幾つもの堀が巡らされていました。
 本丸へと行きます。
 ちゃんと枡形虎口もありました。
 立派な石碑です。
 江戸時代、薩摩藩は領地を外城と呼ばれる102の地区に分け、地頭や領主の屋敷である御仮屋を中心に麓と呼ばれる武家集落を作り、鹿児島に武士団を結集させることなく分散して統治にあたらせました。知覧武家屋敷もその一つです。
 最初は森重堅邸庭園へ行きました。
 森重堅邸庭園は知覧武家屋敷庭園で唯一の池泉庭園です。
森重堅邸庭園滝石組(モリシゲカタテイエンタキイワグミ) 落差2m 時間3分 評価1
 離れ落ち形式の滝石組がありました。
 アスファルトが少し興ざめですが、タイムスリップしたかのような通りです。
 庭園はありませんが、旧高城家にも行ってきました。
 右の戸を外せばかなりの大平間になります。
 続いて佐多直忠邸庭園へ行きました。
佐多直忠邸庭園枯滝石組(サダナオタダテイエンカレタキイワグミ) 落差2m 時間5分 評価1
 天をつくかのような石組は迫力満点です。
 佐多民子庭園は巨石奇岩で深山幽谷を表現する庭園なので期待に胸が膨らみました。
 白砂を大海にみたたているのでしょうか。
 書院の沓脱石から枯滝石組に向かって飛石が配置されています。
佐多民子庭園枯滝石組(サダタミコテイエンカレタキイワグミ) 落差2m 時間6分 評価1
 色々な形の石を積み上げて深山幽谷を表現していました。滝石組も複雑に落ちる段瀑でいいですね。
 佐多美舟家は領主の佐多氏の分家または支流とされ、御役人(おやくにん)という最高職を担った家のひとつです。
 手前の白砂は大海を表現し知覧武家屋敷庭園の中で最も広い庭園でした。
佐多美舟庭園枯滝石組(サダミフネテイエンカレタキイワグミ) 落差2m 時間6分 評価1
 天をつくような蓬莱山とそれに続く枯滝石組が見事です。緑豊かですが、作庭時は石組主体の枯山水だったのでしょう。
 平山亮一邸庭園は他の庭園とは趣を異にします。
 サツキの刈込みと生垣だけのシンプルな庭園で、背後の生垣は山が連なっているように波打っていました。
 最後は旧西郷邸庭園です。
 旧西郷邸庭園は最も新しい庭園で江戸末期に造られました。
旧西郷邸庭園枯滝石組(キュウサイゴウテイテイエンカレタキイワグミ) 落差2m 時間10分 評価1
 本庭園は鶴亀庭園になっているのが最大の特徴です。亀は真ん中下の石が頭で右下の刈込が胴体、鶴は真ん中の尖った石(三重石塔の左)が頭で左の石が羽根、そして鶴の首筋から落ちているのが枯滝でした。
 滝の映像



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