有松天満社いろは滝 (Arimatsutenmansha Iroha taki)

愛知県名古屋市緑区鳴海町字米塚
 有松天満社は菅原道真を祀った江戸時代から続く神社です。


撮影2019/7/21
 有松天満社の裏手にある駐車場に車を停めて歩くとすぐに本殿に着きました。
 本殿から石段を降りていきます。
いろは滝 (イロハタキ) 落差4m 評価1
 すると左側の斜面に行場がありましたが水は流れていません。行をする時だけ水を流すのかもしれません。
 こちらが正面の鳥居です。
 折角ですので、旧東海道沿いの有松の街並みを見ることにしました。
 実は有松天満社は江戸時代中期までは旧東海道沿の祇園寺境内にあったそうです。
 旧東海道沿いに江戸時代の街並みが残り、まるでタイムスリップしたみたいてす。
 有松は江戸時代の初め、尾張藩が東海道の鳴海宿と池鯉鮒 (現在の知立) 宿の間が人家もなく治安も悪かったことから諸役免除の特典を与えて、知多郡阿久比の人達を新たに入植させて作った町です。
 最初に入植したのが、長五郎、九左衛門、九兵衛、勘次、弥七、庄九郎、新助、治郎作の八名でこの中の庄九郎が有松絞りを考案しました。
 東海道を往来する人を相手に1610年頃から絞り染めの手ぬぐいを作って売り始めたようです。さらに1641年に徳川光友 (尾州二代藩主) が、世継としてはじめて尾張に入国した時、村人が入国祝いに鍛絞りの手綱を献上したことで、一気に知名度が上がり、以後、有松絞りの名声が高まったとのことです。
 こちらの家は小塚家住宅ですが、栄えた証拠がありました。
 有松では珍しい卯建 (ウダツ) の上がる家です。卯建は最初は防火壁の役割がありましたが、その後、権力、財力を象徴するものに変わりました。
 そこから転じて「ウダツが上がらない」という慣用句が出来たそうです。
 次の岡家住宅は1階が連子 (レンジ) 格子と海鼠 (ナマコ) 壁、2階の窓は虫籠 (ムシコ) 窓の塗籠 (ヌリゴメ) 造りとなっており、特に2階の白い縦格子が重厚な雰囲気を良く表しています。
 岡家住宅は住居として最近まで使用されていたそうですが、現在は内部を無料公開し、当日も説明員の方に案内して頂きました。
 何と岡家住宅は江戸時代の浮世絵に書かれていました。
 竹田家住宅は奥行きもある立派なお屋敷でした。竹田家は最初に有松絞りを考案した竹田庄九郎の後裔とのことですので、頷けます。
 庄九郎は1610年の名古屋城普請で来ていた豊後の人達が持っていた絞り染めをヒントに作り始めたそうです。
 以来、地方絞りの一大産地として栄え、現在でも京都の高級絞りとともに日本の二大絞り産地となっています。
 服部家住宅は1790年創業の絞商「井桁屋」で、間口の広さでは有松一だそうです。
 棚橋家住宅は、もとは有松を代表する絞商「大井桁屋」でしたが、1933年から棚橋医院として50年間使われてきたそうです。
 病院として使われていただけあって、白いしっくいが非常にきれいでした。


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