養浩館庭園滝石組(Yokokanteien takiiwagumi)

福井県福井市宝永3丁目11
 養浩館は元禄12年(1699年)、福井藩主・越前松平家の別邸として作庭された。
 江戸時代には「御泉水屋敷」と呼ばれていたが、後に松平春嶽が「養浩館」と名づけている。
 第二次世界大戦で建物は焼失したものの、庭園は奇跡的に残り、建物も再建されて平成5年(1993年)から一般公開された。



撮影2025/6/23
 西門から養浩館に入る。
 数寄屋造りの建物が池に浮かんでいるかのように佇んでいた。
 大広間が続く。
 大名になったつもりで額縁庭園を楽しむ。
 築山も美しい。
 反対岸には小さな亭「清廉」が見えるが、緑が広がる中、ワンポイント的な景観を与えていた。
養浩館庭園滝石組(ヨウコウカンタキイワグミ) 落差2m 時間5m 評価1/10
 清廉の左手に小さな滝が見える。
 近づくと、石橋の下を水が静かに流れ落ちていた。
 控えめな滝だが、庭園の静けさに寄り添うような存在感がある。
 滝の映像
 建物を出ると、ほとんど隙間なく低く架けられた石橋が目に入った。
 これほど大きな石を使った橋は珍しく、庭園の格式を感じさせる。
 大きめの石を配した砂利浜も美しい。
 養浩館を後にし、続日本百名城に選定されている福井城(137番)へ向かった。
 福井城は現在ほとんど埋め立てられ、本丸を囲む堀だけが往時の姿を伝えている。
 建物は空襲で焼失し、現在は福井県庁と県警本部が建っている。
 堀端には結城秀康公の銅像が立つ。
 もともとは柴田勝家が北ノ荘城を築いたのが始まりだが、現在の福井城の形を整えたのは秀康である。
 福井県では城の復元計画が進められ、山里口御門と御廊下橋が復元された。
 県庁の受付の方に天守再建の可能性を尋ねると、福井駅から最も目につく入口左側の櫓の復元を優先しているとのこと。
 やはり費用対効果の問題が大きいのだろう。
 山里口御門へ行く。
 敵の侵入を防ぐ虎口の構造が見事で、機能美が際立っていた。
 御廊下橋から眺める天守台の石垣も美しく、下部には犬走りも確認できる。
 天守台に上がると、井戸「福の井」がある。寛永元年(1624年)、三代藩主・松平忠昌が「北」の字が敗北を連想させ不吉として「福居」と改名し、後に「福井」となった。
 一説には、この「福の井」に因んだ改名とも伝わる。
 かつてここには高さ37メートル、四重五階の天守がそびえていた。
 再びその姿が蘇る日は来るのだろうか。堀に映る空を眺めながら、そんな思いが胸をよぎった。



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