館林城三の丸庭園涸滝石組(Tatebayashijyosannomaruteien takiiwagumi)

群馬県館林市城町3
 館林城三の丸跡に建つ館林市文化会館(カルピスホール)の横には、ひっそりと日本庭園が残されている。



撮影2025/8/3
 百名城に選定されている金山城(17番)を訪ねた。
 金山城は文明元年(1469年)、新田家純が築いたのが始まりで、その後は下剋上によって由良氏が城主となった。
 上杉氏、武田氏、北条氏、佐竹氏といった戦国の強豪に囲まれながらも持ちこたえたが、天正12年(1584年)、人質開放の条件として北条氏に明け渡される。
 さらに天正18年(1590年)、小田原征伐で北条氏が滅亡すると、城も役目を終え廃城となった。
 西城の駐車場に車を停め、本丸を目指して歩き始める。
 馬場下通路の石垣は往時の姿をよく留め、静かに歴史を語っていた。
 物見台に立つ。
 桐生方面がよく見渡せる。山々の稜線が淡く重なり、戦国の景色を想像させた。
 途中には戦国時代からの池・月の池。
 そこを抜けると大手虎口へ。
 虎口を越えると、さらに上段に日の池が広がっていた。
 百名城選定を記念した石碑らしきものも立っている。
 本丸へ向かう参道には、樹齢800年の大ケヤキがそびえていた。
 金山城の攻防を見つめ続けてきた生き証人ともいえる存在で、その幹に触れると時の厚みが伝わってくる。
 本丸には明治時代に創建された新田神社が祀られていた。
 続いて、隣町の館林城跡へ向かう。
 館林城は徳川四天王の一人、榊原康政が江戸初期に大幅改修した城だが、その後、縮小された。しかしながら、東北方面の要所として、また将軍を輩出した地として重視され、江戸幕府重鎮・七家の居城として栄え、明治維新を迎えている。
 三の丸土橋門が復元されており、往時の面影をわずかに感じさせた。
 館林市文化会館はネーミングライツにより「カルピスホール」と呼ばれている。
 カルピスホールの隣に草に埋もれた三の丸庭園の石碑がひっそりと立っていた。
 庭園には大きな沢飛石が据えられている。
 ただ、借景がカルピスホールというのは少し惜しい。
 中島は亀島だろうか、丸みを帯びた形が印象的だった。
館林城三の丸庭園涸滝石組(タテバヤシジョウサンノマルテイエンカレタキイワグミ) 落差1m 時間分 評価1/10
 大きな立石は滝添え石で、左側の石が水落石と思われる。
 しかし、手入れが行き届いていないようで、草が生い茂り、せっかくの石組が埋もれてしまっているのが残念だった。
 滝の映像



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