宗吾霊堂石心苑枯滝石組(sogoreidosekishinenkaretakiiwagumi)

千葉県成田市宗吾1丁目
 石心苑は、宗吾霊堂の境内に設けられた静かな日本庭園である。



撮影2025/7/18
 百名城に選定されている佐倉城(20番)を訪ねた。
 佐倉城は元和元年(1615年)、佐倉藩の藩庁が本佐倉城から移されて以来、明治維新まで藩政の中心として機能した城である。
 二の門跡を抜けた。
 一の門跡を通ると本丸に至る。
 佐倉城は石垣を用いず、巧みに配置された土塁によって外敵を防いだ城だ。本丸の土塁はその特徴をよく伝えている。
 かつてここには天守もあったという。
 屋根付きの石碑が珍しく目を引いた。
 すぐそばにもう一つ石碑があり、並んでいると少し紛らわしい。
 続いて、続百名城に選定されている本佐倉城(121番)へ向かう。
 本佐倉城は千葉氏が15世紀後半に築いた城で、約100年にわたり千葉氏の本拠地となった。
 しかし天正18年(1590年)、小田原征伐後に千葉氏が改易されると徳川氏に接収され、城は破却される。
 その後、慶長15年(1610年)に佐倉藩の藩庁が置かれたが、わずか5年で佐倉城へ移され、一国一城令により廃城となった。
 駐車場から歩くこと7分ほどで、本丸にあたる奥の山に到着。
 ここには家臣団の屋敷が建ち並んでいたのだろう。
 さらに駐車場方面へ戻り、東口虎口を見に行く。
 虎口は城の出入口で、直角に折れる構造により敵の侵入を防ぐ工夫が施されている。
 東山虎口の隣の東山に登ってみた。
 夕陽に染まる水田が広がる。かつては見晴らし台として利用されていたのだろう。
 日没が迫る中、宗吾霊堂へ向かった。
 宗吾霊堂は「宗吾様」の名で親しまれる古刹で、開基は桓武天皇の時代、征夷大将軍・坂上田村麻呂が房総平定の際に戦没者供養のため建立したと伝わる。
 正式名称は鳴鐘山東勝寺。知名度では成田山新勝寺の方が有名だが、「新勝寺」は、東勝寺より新しい寺という意味でより東勝寺の方が古い寺だ。
 宗吾霊堂の名は、将軍に重税を直訴した名主・佐倉宗吾にちなむ。
 宗吾は直訴の罪により家族とともに処刑されたが、100年後、佐倉藩はその失政を悔い、宗吾に「宗吾道閑居士」の法号を贈った。
 以来、寺は宗吾霊堂、宗吾様と呼ばれ親しまれている。
 続いて宗吾霊360年祭を記念して造られた石心苑へ向かう。
宗吾霊堂石心苑枯滝石組(ソウゴレイドウセキシンエンカレタキイワグミ) 落差1m 時間5m 評価1
 二段落としの枯滝で、立石に刻まれた紋様がまるで本物の滝の流れのように見えた。
 庭園の静けさの中で、石組の存在感が際立っている。
 宗吾霊325年祭記念事業で建てられた大山門は、ライトに照らされた仁王像が迫力を増し、夕闇の中で荘厳な雰囲気を放っていた。
 本堂もライトアップされ、境内全体が厳かな空気に包まれている。最後に本堂へ参拝し、宗吾霊堂を後にした。



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