| 撮影2026/2/1〜2 |
百名城・続百名城の旅も沖縄を残すのみだ。そこで2月1日から6日まで沖縄を旅行することにした。 |
2000年に「琉球王国のグスク(5グスク)及び関連遺産群(4遺跡)」が世界遺産に登録されている。2014年に既に2グスク(首里城、今帰仁城)、3遺跡(玉陵、園比屋武御嶽石門、斎場御嶽)を訪問したが、今回は残りの遺跡も行くつもりだ。 |
最初に向かったのが、百名城に選定されている中城城(99番)。 |
中城城は14世紀後半に先中城按司が築いた城を1440年、護佐丸が座喜味城から移り住み、増築したという。
一・二・三・南・西・北の郭(曲輪)を持ち、三と北の郭を護佐丸が増築している。 |
EVで正門まで運んで貰い、南の郭へと登った。 |
南の郭の中央には、雨乞の儀式を行う拝所がある。 |
見事なアーチ式門をくぐり、一の郭へ入った。 |
五角形の石を巧みに積み上げた相方積みという高度な技法を見ることができる。 |
一の郭からは海も見えた。 |
裏門のアーチも見事だ。 |
二の郭は広々としている。 |
1458年、勝連城主・阿麻和利が反乱を起こすとこれを討つべく護佐丸が立ち上がった。ところが阿麻和利は護佐丸こそ反乱軍だたと首里王府に讒言し、これを信じた首里王府は阿麻和利を総大将に任命し中城城を攻める。攻撃が王府軍だと悟った護佐丸は反撃せず自ら命を絶ったというのが正史の記録だ。 |
護佐丸が増築したのは三の丸と北の丸で、そこにも相方積みの高度な技法を見ることができる。
日本に来航したペリーが沖縄にも来航し、この城に立ち寄った際、城壁やアーチの技術水準に驚嘆したという。 |
当日は北中城村コスプレ、略して「きたコス」イベントが開催されており、沢山のコスプレイヤーの皆さんでにぎわっていた。 |
中城城を後にし、阿麻和利が居城とした続百名城に選定されている勝連城(200番)を訪れる。 |
勝連城は、14世紀始め頃、勝連按司によって築城されたのが始まりだ。最後の第10代城主・阿麻和利は圧政を敷いていた第9代城主からクーデターにより城を奪い、本土貿易などにより力を付けて行く。 |
1458年、阿麻和利は宿敵・護佐丸を自害に追い込んだ後、王府をも倒して琉球統一を目指したが、逆に王府によって滅ぼされ、勝連城も廃城となった。 |
勝連城は琉球で最も古い城で一から三の曲輪まで階段状に連なっているのが特徴だ。 |
二の曲輪には17メートル×14.5メートルほどの建物跡が見つかっている。 |
一の曲輪へと石段を登って行く。 |
一の曲輪には勝連を守護する大きな霊石をご神体とする御嶽が置かれていた。 |
遠くには与勝諸島も見える。 |
夕暮れ時、何とか続百名城に選定されている座喜味城(199番)に間に合った。 |
座喜味城は、1416年から1422年にかけて護佐丸によって築城される。 |
松が林立する中、歩いて行く。 |
二の郭入口のアーチ門が見えた。 |
アーチ門の上にはまる楔石は古い形態であることを示す。 |
城壁に登り二つのアーチ門を俯瞰すると600年前にタイムスリップしたかのようだ。 |
角が丸いのも琉球の城の特徴で、 琉球石灰岩が柔らかく、曲線を作りやすかったこと、 直線よりも曲線の方が自然で強度も出しやすいこと、 地形に沿う“曲線美”を重視する文化、グスクは自然の尾根や丘をそのまま活かすため、結果として曲線的な壁になること、
風水・信仰的思想(角を立てない)、角は“気が滞る”とされ、丸めることで調和を保つという思想があったと言われている。 |
(7時20分)
翌日の朝、石川市民の森から岩越の滝へ向かう。 |
(7時23分)
城の展望台に到着。落書きが放置されているのが気になる。 |
展望台からは朝の通勤渋滞だろうか、沖縄自動車道上で停まるライトの列が見えた。 |
展望台から峠道を目指す。 |
(7時30分)
峠に到着。右へ行くと石川岳山頂だが、ここを左へと曲がる。 |
(7時40分)
しばらく峠道を歩いていると緊急下山道に変わるので、ここを右へ曲がって、急坂を降りて行く。 |
登りではあまりの急坂に無言になってしまうのだろう。 |
(8時00分)
ようやく友愛の池に到着。 |
上流には小さな滝が見えた。 |